熊本 阿蘇山とその周辺を楽しむ [九州旅行]
九州旅行のつづき。
熊本に戻り、阿蘇山周辺を散策します。
阿蘇山(阿蘇くじゅう国立公園に指定)といえば。世界最大級のカルデラ
↓熊本からJR豊肥本線で、普通列車約90分で阿蘇駅(熊本県阿蘇市)到着。カワイイ駅舎です。
海外からの観光客も多数見られました。日本を代表する観光地なんですよね
ここからは九州産交バス(阿蘇駅前-草千里-阿蘇山西駅:約40分)と阿蘇山ロープウェーを乗り継いで、阿蘇山中岳火口周辺へと向かいます。阿蘇山ロープウェーは、世界で初めて活火山に架けられたロープウェー
↓ロープウェー火口西駅からはすぐ。当日はあいにくの悪天候(風雨)でした。
↓火山ガスに対する注意書き当日、一部エリアは立ち入り禁止になっておりました。
↓第一火口の火口湖(湯だまり) はこんな感じ。火口底に雨水や湧水がたまり、マグマに熱せられてお湯になっています。結構近いので迫力ありますね。エメラルドグリーンの温泉です周辺も、火山特有の異様な光景が広がっております。
ロープウェイで戻り、草千里へ。阿蘇と言えば、ここは立ち寄りますね文字通り、草原が広がる景色でのびのびできます。馬にも乗れます
↓馬と草原の組み合わせはなんとものどかです
↓草千里レストハウスにある、阿蘇山名物 その名も「カツ火山カレー」850円説明不要だと思いますが。カツと活火山をかけております。ボリュームもあって、満足いく一品でした!
続いて。阿蘇山のふもとの観光スポットへ。
↓JR豊肥本線宮地駅で降りて徒歩20分くらい。
↓阿蘇神社。創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられており、歴史を感じさせる造りです。大楼門は日本三大楼門の一つとされています(ほかのふたつは、茨城県・鹿島神社、福岡県・箱崎宮)。
高森湧水トンネル公園(熊本県阿蘇郡高森町)
もともとは、熊本と延岡を結び、九州を横断する鉄道を走らせようとする計画の中にあったこのトンネル。
1973年(昭和48年)に、未開通区間であった、高森-高千穂間の工事に着手した際に作られたものですが。
トンネル掘削中の異常出水事故により中断、その後計画自体が廃止となってしまいました。
で、前の記事にもありますとおり、高千穂-延岡間の高千穂鉄道自体も廃止されてしまい、当初の九州横断どころか、逆戻りしてしまいました・・・
そして、鉄道が通るはずであったこのトンネル跡を、公園に有効活用したというもの。
↓時期外れの鯉のぼりですが・・。外まで水路になってトンネル内部につながっています。水と緑の豊かな公園で、気持ち良く泳いでました
↓トンネル公園なんで、トンネルのなかに入ります入場料 300円(美化整備協力金)。なかはかなり涼しい
↓こちらもかなり季節外れですが、クリスマスツリーのイルミネーションこれはびっくりですが。地元の保育園や学校、企業、病院などの協力でひとつひとつ手作り。
トンネルの中を歩くのも楽しくなります素晴らしい工夫です。
↓トンネルの一番奥には水神様が祀られております阿蘇の豊かな自然が生み出す水に感謝
最後に鉄道。
高森湧水トンネル公園へは、南阿蘇鉄道の高森駅から歩いて10分くらい。
南阿蘇鉄道は、立野駅(熊本県阿蘇郡南阿蘇村)から高森駅の17.7km を結んでいる第三セクター。JR豊肥本線は阿蘇山の北側を走るのに対し、こちらは南側を走ります。
↓高森駅。なかなかモダンな造りです。
↓豊肥本線を走る、阿蘇カルデラ観光列車「あそ1962」。熊本―宮地間を走る臨時快速列車。
↓あそ1962のクライマックスは、先日の記事で紹介しました。SL人吉との並走で熊本駅に入線します実は、SL人吉と同じ、17:21熊本着なんですJR九州さんやりますねーなかなか見ごたえがあります
九州旅行おわり。かなり投稿がノビノビになり、失礼いたしました・・・
お読みいただきましてありがとうございましたm(__)m
(みなさんのところへの訪問遅れまして、申し訳ございません・・・。)
熊本に戻り、阿蘇山周辺を散策します。
阿蘇山(阿蘇くじゅう国立公園に指定)といえば。世界最大級のカルデラ
↓熊本からJR豊肥本線で、普通列車約90分で阿蘇駅(熊本県阿蘇市)到着。カワイイ駅舎です。
海外からの観光客も多数見られました。日本を代表する観光地なんですよね
ここからは九州産交バス(阿蘇駅前-草千里-阿蘇山西駅:約40分)と阿蘇山ロープウェーを乗り継いで、阿蘇山中岳火口周辺へと向かいます。阿蘇山ロープウェーは、世界で初めて活火山に架けられたロープウェー
↓ロープウェー火口西駅からはすぐ。当日はあいにくの悪天候(風雨)でした。
↓火山ガスに対する注意書き当日、一部エリアは立ち入り禁止になっておりました。
↓第一火口の火口湖(湯だまり) はこんな感じ。火口底に雨水や湧水がたまり、マグマに熱せられてお湯になっています。結構近いので迫力ありますね。エメラルドグリーンの温泉です周辺も、火山特有の異様な光景が広がっております。
ロープウェイで戻り、草千里へ。阿蘇と言えば、ここは立ち寄りますね文字通り、草原が広がる景色でのびのびできます。馬にも乗れます
↓馬と草原の組み合わせはなんとものどかです
↓草千里レストハウスにある、阿蘇山名物 その名も「カツ火山カレー」850円説明不要だと思いますが。カツと活火山をかけております。ボリュームもあって、満足いく一品でした!
続いて。阿蘇山のふもとの観光スポットへ。
↓JR豊肥本線宮地駅で降りて徒歩20分くらい。
↓阿蘇神社。創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられており、歴史を感じさせる造りです。大楼門は日本三大楼門の一つとされています(ほかのふたつは、茨城県・鹿島神社、福岡県・箱崎宮)。
高森湧水トンネル公園(熊本県阿蘇郡高森町)
もともとは、熊本と延岡を結び、九州を横断する鉄道を走らせようとする計画の中にあったこのトンネル。
1973年(昭和48年)に、未開通区間であった、高森-高千穂間の工事に着手した際に作られたものですが。
トンネル掘削中の異常出水事故により中断、その後計画自体が廃止となってしまいました。
で、前の記事にもありますとおり、高千穂-延岡間の高千穂鉄道自体も廃止されてしまい、当初の九州横断どころか、逆戻りしてしまいました・・・
そして、鉄道が通るはずであったこのトンネル跡を、公園に有効活用したというもの。
↓時期外れの鯉のぼりですが・・。外まで水路になってトンネル内部につながっています。水と緑の豊かな公園で、気持ち良く泳いでました
↓トンネル公園なんで、トンネルのなかに入ります入場料 300円(美化整備協力金)。なかはかなり涼しい
↓こちらもかなり季節外れですが、クリスマスツリーのイルミネーションこれはびっくりですが。地元の保育園や学校、企業、病院などの協力でひとつひとつ手作り。
トンネルの中を歩くのも楽しくなります素晴らしい工夫です。
↓トンネルの一番奥には水神様が祀られております阿蘇の豊かな自然が生み出す水に感謝
最後に鉄道。
高森湧水トンネル公園へは、南阿蘇鉄道の高森駅から歩いて10分くらい。
南阿蘇鉄道は、立野駅(熊本県阿蘇郡南阿蘇村)から高森駅の17.7km を結んでいる第三セクター。JR豊肥本線は阿蘇山の北側を走るのに対し、こちらは南側を走ります。
↓高森駅。なかなかモダンな造りです。
↓豊肥本線を走る、阿蘇カルデラ観光列車「あそ1962」。熊本―宮地間を走る臨時快速列車。
↓あそ1962のクライマックスは、先日の記事で紹介しました。SL人吉との並走で熊本駅に入線します実は、SL人吉と同じ、17:21熊本着なんですJR九州さんやりますねーなかなか見ごたえがあります
九州旅行おわり。かなり投稿がノビノビになり、失礼いたしました・・・
お読みいただきましてありがとうございましたm(__)m
(みなさんのところへの訪問遅れまして、申し訳ございません・・・。)
宮崎 神々の里・廃線 高千穂を歩く [九州旅行]
熊本県から宮崎県へ。
熊本から、延岡行 たかちほ号(九州産交バスと宮崎交通の共同運行)に乗ります。
<九州のバス乗り放題「SUNQパス」を利用すると非常にお得>
約2時間50分で高千穂バスセンター到着。
次なる目的地は、”神々の里”と呼ばれる、宮崎県西臼杵郡高千穂町(たかちほちょう)。
町内には、(下流は延岡市で、日向灘へと流れる)五ヶ瀬川が流れています。宮崎県とはいうものの、県北端の西側に位置し、熊本県と大分県に隣接しています。日本神話の天孫降臨(てんそんこうりん;天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫ニニギノミコトが地上に降り立ったこと)の舞台として有名。
高千穂峡<祖母傾(そぼかたむき)国定公園に指定>
阿蘇山の火山活動によって溢出した溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、この溶岩が急激に冷却されたために柱状節理の懸崖となった渓谷。
高千穂といったら、真名井の滝(まないのたき)とボートの組み合わせ。あまりにも有名な定番撮影スポット。
日本の滝100選。滝の高さは17m。
神話に絡めると、天孫降臨の際に、天村雲命(あめのむらくものみこと) が、水がなかったこの地に水種を移し、これが湧水し、やがて滝となって流れ落ちているといわれています。好天に恵まれ、まぶしい周りの緑とは対照的に、涼しげな滝です。
↓日差しもそこそこあったせいか、川の水は深い緑に透き通っています
ここから、高千穂神社まではちょっとしたハイキングコース。新緑のパワーをたっぷりもらいながら、歩いて行きます。
↓しばらく歩くと。奥から、「神都高千穂大橋」、「高千穂大橋」、「神橋」という順で橋が並んでおります。
しかも、作られた年代が平成、昭和、大正と三つの時代に分かれており、
さらに、橋の材質がコンクリート、鉄、石と、三者三様に違うのが非常に興味深い
↓なかでも、「神橋」は、やはり時代を感じる石の橋。この3つの中では、個人的に一番好きですねあっ、飛行機雲。
↓高千穂峡の深い渓谷を眺めます。岩の荒々しさと新緑が織りなす風景。奥には五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭い「槍飛(やりとび)」という呼ばれるところ。神話ではないですが・・・、その昔、高千穂が攻められ、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来たちが、ここに逃げたが橋がないので槍を使って川を飛び越えようとして、槍の柄を手前の岸について飛んだ者は渡り、向こう岸について飛んだ者は川に落ちたとの言い伝えから。
↓高千穂大橋の下から。
↓高千穂神社までは、ちょっと急な坂道が続きます。
↓真名井の滝からゆっくり歩いて1時間弱。高千穂神社に到着。高千穂の夜神楽(よかぐら)で有名なこの由緒ある神社(写真は本殿)。晩に、ここの神楽殿で行われます。
↓高千穂神社内で見守る、樹高55m、樹齢800年の秩父杉(みやざきの巨樹百選)。
高千穂の夜神楽は、重要無形民俗文化財に指定されています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が高千穂峡谷の近くに実在する岩窟天岩戸にお隠れになった時、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが始まりと言われております。
高千穂神社周辺の道には、そんな夜神楽の舞を表現した像があります。
↓”高千穂夜神楽鈿女(うずめ)の舞”
微笑みをたたえた女面に三段切りの御幣(ごへい)と日の丸の扇を持ち、素襖(すおう)の袖を巻き上げて優雅に舞われるというもの。岩戸の前で天鈿女命が八百万(やおよろず)の神々の前で天照大神を誘い出すために舞ったもの。
↓”高千穂夜神楽手力男(たぢからお)の舞”
こちらは上とは対照的に、男性的な舞。天照大神が天の岩戸にお隠れになったことが分かり、手力雄命(たぢからおのみこと)が天照大神について色々と考える様子を表現した舞。鈴と岩戸幣を持ってます。
↓”高千穂夜神楽彦舞(ひこまい) ”
猿田彦命(さるたひこのみこと)の舞。鈴と大幣(おおぬさ)を持ち、四方を祓うという厳かな手風。
と、それぞれ解説つきではありますが。ちょっと理解にくいような・・、色々自らの想像も入り、不思議で神秘的な世界。知れば知るほど奥が深いこの世界にちょっとハマりそうです今回は夜神楽見れず。残念・・・
さて、神々の世界から、人間の世界に戻ってきて。
高千穂には、以前、第3セクターの高千穂鉄道(延岡 ~ 高千穂間 50km;かつての国鉄→JR九州の高千穂線)が五ヶ瀬川に沿って走っておりました高千穂への貴重な観光路線でもあったわけですが。
高千穂鉄道は2005年9月6日の台風14号による被害を受け、全線運転休止となって以来、宮崎県の東国原知事自身も「どげんかせんといかん」との姿勢で、復旧の可能性も視野にいれ検討されてきましたが、最終的には2008年12月28日に全線が廃止となった路線。
↓高千穂鉄道高千穂駅。
高千穂駅構内は無料開放されておりました(毎週土日は、駅舎を開放しているとのこと)。子供連れの家族、と観光客らしき人数人のみが遊んでおりました。
↓車庫と「無事故塔」。
↓車庫の裏手に回り、手動でポイントをいじってみたりして・・・分かりますか?上下の写真の違いまだまだ現役ですな。
↓ホームから延岡方面を眺めます。今にも列車はやってきそうですが、もう列車はやってきません・・・・・・・非常に寂しさを感じる瞬間でした・・・・。
↓線路上を歩いてみたい(誰もが憧れる?)のですが・・・・・あいにくトンネルは塞がれております。
ただ、高千穂鉄道公園(仮称)(たかちほ公園駅~あまのいわと公園駅)を作ろうという運動があります。
私が訪れたとき、高千穂鉄道の復興に向けた活動に携わる高千穂あまてらす鉄道株式会社のスタッフの方がいらっしゃいました。
これまでの経緯について詳細に直接お話しをうかがうことができ、大変勉強になりました
まだ線路がひかれていることを有効利用していこうというこの構想。高千穂鉄道がこの地で愛され続けている故に、生まれたんだと思います。とても素晴らしいと思いましたね
地域の方々、いや、それ以上により多くの方々にこの運動を知ってもらい、盛り上げて、是非とも実現させてほしいものです。
最後に。構想が実現したら、必ずこの地をまた訪れますと、スタッフの方に固く約束し、この高千穂を後にしました
私にとって、高千穂は 「自然」・「神秘」・「鉄道」 と、
当ブログのキーワードと言っても良いような、魅力が満載な場所でした
<九州の旅 つづく>
熊本から、延岡行 たかちほ号(九州産交バスと宮崎交通の共同運行)に乗ります。
<九州のバス乗り放題「SUNQパス」を利用すると非常にお得>
約2時間50分で高千穂バスセンター到着。
次なる目的地は、”神々の里”と呼ばれる、宮崎県西臼杵郡高千穂町(たかちほちょう)。
町内には、(下流は延岡市で、日向灘へと流れる)五ヶ瀬川が流れています。宮崎県とはいうものの、県北端の西側に位置し、熊本県と大分県に隣接しています。日本神話の天孫降臨(てんそんこうりん;天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫ニニギノミコトが地上に降り立ったこと)の舞台として有名。
高千穂峡<祖母傾(そぼかたむき)国定公園に指定>
阿蘇山の火山活動によって溢出した溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、この溶岩が急激に冷却されたために柱状節理の懸崖となった渓谷。
高千穂といったら、真名井の滝(まないのたき)とボートの組み合わせ。あまりにも有名な定番撮影スポット。
日本の滝100選。滝の高さは17m。
神話に絡めると、天孫降臨の際に、天村雲命(あめのむらくものみこと) が、水がなかったこの地に水種を移し、これが湧水し、やがて滝となって流れ落ちているといわれています。好天に恵まれ、まぶしい周りの緑とは対照的に、涼しげな滝です。
↓日差しもそこそこあったせいか、川の水は深い緑に透き通っています
ここから、高千穂神社まではちょっとしたハイキングコース。新緑のパワーをたっぷりもらいながら、歩いて行きます。
↓しばらく歩くと。奥から、「神都高千穂大橋」、「高千穂大橋」、「神橋」という順で橋が並んでおります。
しかも、作られた年代が平成、昭和、大正と三つの時代に分かれており、
さらに、橋の材質がコンクリート、鉄、石と、三者三様に違うのが非常に興味深い
↓なかでも、「神橋」は、やはり時代を感じる石の橋。この3つの中では、個人的に一番好きですねあっ、飛行機雲。
↓高千穂峡の深い渓谷を眺めます。岩の荒々しさと新緑が織りなす風景。奥には五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭い「槍飛(やりとび)」という呼ばれるところ。神話ではないですが・・・、その昔、高千穂が攻められ、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来たちが、ここに逃げたが橋がないので槍を使って川を飛び越えようとして、槍の柄を手前の岸について飛んだ者は渡り、向こう岸について飛んだ者は川に落ちたとの言い伝えから。
↓高千穂大橋の下から。
↓高千穂神社までは、ちょっと急な坂道が続きます。
↓真名井の滝からゆっくり歩いて1時間弱。高千穂神社に到着。高千穂の夜神楽(よかぐら)で有名なこの由緒ある神社(写真は本殿)。晩に、ここの神楽殿で行われます。
↓高千穂神社内で見守る、樹高55m、樹齢800年の秩父杉(みやざきの巨樹百選)。
高千穂の夜神楽は、重要無形民俗文化財に指定されています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が高千穂峡谷の近くに実在する岩窟天岩戸にお隠れになった時、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが始まりと言われております。
高千穂神社周辺の道には、そんな夜神楽の舞を表現した像があります。
↓”高千穂夜神楽鈿女(うずめ)の舞”
微笑みをたたえた女面に三段切りの御幣(ごへい)と日の丸の扇を持ち、素襖(すおう)の袖を巻き上げて優雅に舞われるというもの。岩戸の前で天鈿女命が八百万(やおよろず)の神々の前で天照大神を誘い出すために舞ったもの。
↓”高千穂夜神楽手力男(たぢからお)の舞”
こちらは上とは対照的に、男性的な舞。天照大神が天の岩戸にお隠れになったことが分かり、手力雄命(たぢからおのみこと)が天照大神について色々と考える様子を表現した舞。鈴と岩戸幣を持ってます。
↓”高千穂夜神楽彦舞(ひこまい) ”
猿田彦命(さるたひこのみこと)の舞。鈴と大幣(おおぬさ)を持ち、四方を祓うという厳かな手風。
と、それぞれ解説つきではありますが。ちょっと理解にくいような・・、色々自らの想像も入り、不思議で神秘的な世界。知れば知るほど奥が深いこの世界にちょっとハマりそうです今回は夜神楽見れず。残念・・・
さて、神々の世界から、人間の世界に戻ってきて。
高千穂には、以前、第3セクターの高千穂鉄道(延岡 ~ 高千穂間 50km;かつての国鉄→JR九州の高千穂線)が五ヶ瀬川に沿って走っておりました高千穂への貴重な観光路線でもあったわけですが。
高千穂鉄道は2005年9月6日の台風14号による被害を受け、全線運転休止となって以来、宮崎県の東国原知事自身も「どげんかせんといかん」との姿勢で、復旧の可能性も視野にいれ検討されてきましたが、最終的には2008年12月28日に全線が廃止となった路線。
↓高千穂鉄道高千穂駅。
高千穂駅構内は無料開放されておりました(毎週土日は、駅舎を開放しているとのこと)。子供連れの家族、と観光客らしき人数人のみが遊んでおりました。
↓車庫と「無事故塔」。
↓車庫の裏手に回り、手動でポイントをいじってみたりして・・・分かりますか?上下の写真の違いまだまだ現役ですな。
↓ホームから延岡方面を眺めます。今にも列車はやってきそうですが、もう列車はやってきません・・・・・・・非常に寂しさを感じる瞬間でした・・・・。
↓線路上を歩いてみたい(誰もが憧れる?)のですが・・・・・あいにくトンネルは塞がれております。
ただ、高千穂鉄道公園(仮称)(たかちほ公園駅~あまのいわと公園駅)を作ろうという運動があります。
私が訪れたとき、高千穂鉄道の復興に向けた活動に携わる高千穂あまてらす鉄道株式会社のスタッフの方がいらっしゃいました。
これまでの経緯について詳細に直接お話しをうかがうことができ、大変勉強になりました
まだ線路がひかれていることを有効利用していこうというこの構想。高千穂鉄道がこの地で愛され続けている故に、生まれたんだと思います。とても素晴らしいと思いましたね
地域の方々、いや、それ以上により多くの方々にこの運動を知ってもらい、盛り上げて、是非とも実現させてほしいものです。
最後に。構想が実現したら、必ずこの地をまた訪れますと、スタッフの方に固く約束し、この高千穂を後にしました
私にとって、高千穂は 「自然」・「神秘」・「鉄道」 と、
当ブログのキーワードと言っても良いような、魅力が満載な場所でした
<九州の旅 つづく>
熊本 「SL人吉」に乗って [九州旅行]
(前回、「軍艦島」の記事にはたくさんのnice!ありがとうございました
訪問遅れまして、申し訳ございません・・・。)
九州旅行の続きです。長崎から熊本へ。
今回の目的のふたつめは「SL人吉」です。
熊本~《JR鹿児島本線》~八代~《JR肥薩線(ひさつせん)》~人吉というルートを往復して行きます。
「SL人吉」は、肥薩線が今年開業100周年を迎えるのを記念して、2009年4月25日に復活したばかりの牽引蒸気機関車(58654号機;ハチロク8620形)。
かつて「SLあそBOY」牽引機としても活躍し、一旦は2005年に引退したものの、再び復活を遂げたという蒸気機関車です。
熊本県内のJRの駅では、至るところに「SL人吉」のキャンペーンの文字があり、盛り上がっております
その勇姿を再び見ようとたくさんの方々(鉄道ファンのみならず、子供からお年寄りまで、老若男女問わず)が沿線に詰めかけておりました
JR肥薩線人吉駅(熊本県人吉市)構内。
ここで、熊本へ折り返します。いや~、やっぱり元気に走る蒸気機関車の姿はカッコいいです
↓待ち時間です。人吉市は熊本県の南部、球磨地方(人吉盆地)にあり、小京都と呼ばれ、かつて城下町として栄えました。宮崎県えびの市と鹿児島県伊佐市と隣接しております。
人吉駅駅舎。ちょうど、この日は「人吉お城まつり」開催中で、SL開業ととともに街中が大変賑わっておりました。ちなみに。駅前の城は、からくり時計
↓人吉駅から徒歩15分。人吉市内を流れる球磨川のほとりにある人吉城跡。石垣だけが残っております。領主相良氏の居城跡。別名 「繊月城」。
↓さて、いよいよ熊本へ出発の準備ができつつあり、人吉駅の車庫から出てきました。
↓多くのギャラリーが詰めかける中、ホーム入線。これから、熊本行に乗るお客さんの乗車を開始します。私も乗り込むことに。
↓客車の車内はこんな感じ。落ち着いた木目調のお洒落な雰囲気です。
↓落ち着いた外観(カラー)も上品な印象を受けます。
↓せっせと石炭を焚く機関士さん。これは大変な作業です。熱そう、暑そう、キツそう本当にお疲れ様です。ただ、こういうものは純粋に残していってほしい!
14:39人吉駅を出発。大勢の方々に見送られながらいよいよです。
途中いくつかの駅で数分ずつ停車をして行きます。停車するたびに、乗客は先頭の機関車に集まっては記念撮影会。駅ごとにSLの表情が違いますもんね。私も負けじと。
↓坂本駅(熊本県八代郡坂本村)停車。球磨川と緑に囲まれた、のどかな駅
↓そして、そして。行く先々では、笑顔で手を振って、SLを見送る方々が本当にたくさんいらっしゃいました乗客の私もお返しに手を振り返して合図します。これが結構楽しいんです
乗っている人も、走っている姿を見る人もお互い喜んでいるのって、なんか素敵な瞬間なんですよねぇ~。
みんなに幸せを運ぶ、SLの魅力のひとつです。
↓家の前で、おじいちゃん、おばあちゃんと手を振るお孫さんかな
なんか、田舎の風景って感じで、心温まります。
↓肥薩線の魅力と言えば、やはり何といっても(日本三大急流の一つでもある)球磨川沿いの美しい景色ですね。
球磨川は、人吉盆地から八代平野、八代海へ至り、まさに肥薩線と一緒に歩んでいるんです
汽笛が鳴り響く、SLの車内から眺める景色はまた格別のものがありますよ
↓車内では、球磨焼酎が有名なこの地方に因んで、 「焼酎アイス」が売ってましたので、味わうことに。焼酎味(シャーベットっぽい;右半分)とバニラ味のアイス(左半分)が半分ずつあって、混ぜながら食べるとのこと。まあ、不思議な味でした
↓八代駅。〈ちなみに下り列車デス〉
すぐ駅裏にある日本製紙八代工場の煙と、SLの煙のコラボです
行く先々で、子供たちには大人気。JR九州の職員の方々も、大サービス子供たちにとっては、きっと良い思い出になるんでしょうね
17:21終点の熊本駅到着。お隣は、博多まで行くリレーつばめ号。
みなさん、ご乗車お疲れ様でしたぁ
SLに集まってくる人々の数の多さには本当に驚きです
子供は勿論、男女問わず幅広い世代に愛されていることを改めて実感させられましたね
行く先々で待ち受けている人、手を振ってくれる人、観光客、地元の方、みんな笑顔なんですよね誠に素晴らしいことです
SLの魅力の偉大さ、存在感は、もの凄いものがありますよ。
記憶に新しいことで、ブルートレインの廃止なんかにも関係するんですが、現実的に考えると非効率な部分もあるにせよ、
こういう”SLのような存在”は、この先も常に求め続けられると確信しますね。
<九州旅行 つづく>
訪問遅れまして、申し訳ございません・・・。)
九州旅行の続きです。長崎から熊本へ。
今回の目的のふたつめは「SL人吉」です。
熊本~《JR鹿児島本線》~八代~《JR肥薩線(ひさつせん)》~人吉というルートを往復して行きます。
「SL人吉」は、肥薩線が今年開業100周年を迎えるのを記念して、2009年4月25日に復活したばかりの牽引蒸気機関車(58654号機;ハチロク8620形)。
かつて「SLあそBOY」牽引機としても活躍し、一旦は2005年に引退したものの、再び復活を遂げたという蒸気機関車です。
熊本県内のJRの駅では、至るところに「SL人吉」のキャンペーンの文字があり、盛り上がっております
その勇姿を再び見ようとたくさんの方々(鉄道ファンのみならず、子供からお年寄りまで、老若男女問わず)が沿線に詰めかけておりました
JR肥薩線人吉駅(熊本県人吉市)構内。
ここで、熊本へ折り返します。いや~、やっぱり元気に走る蒸気機関車の姿はカッコいいです
↓待ち時間です。人吉市は熊本県の南部、球磨地方(人吉盆地)にあり、小京都と呼ばれ、かつて城下町として栄えました。宮崎県えびの市と鹿児島県伊佐市と隣接しております。
人吉駅駅舎。ちょうど、この日は「人吉お城まつり」開催中で、SL開業ととともに街中が大変賑わっておりました。ちなみに。駅前の城は、からくり時計
↓人吉駅から徒歩15分。人吉市内を流れる球磨川のほとりにある人吉城跡。石垣だけが残っております。領主相良氏の居城跡。別名 「繊月城」。
↓さて、いよいよ熊本へ出発の準備ができつつあり、人吉駅の車庫から出てきました。
↓多くのギャラリーが詰めかける中、ホーム入線。これから、熊本行に乗るお客さんの乗車を開始します。私も乗り込むことに。
↓客車の車内はこんな感じ。落ち着いた木目調のお洒落な雰囲気です。
↓落ち着いた外観(カラー)も上品な印象を受けます。
↓せっせと石炭を焚く機関士さん。これは大変な作業です。熱そう、暑そう、キツそう本当にお疲れ様です。ただ、こういうものは純粋に残していってほしい!
14:39人吉駅を出発。大勢の方々に見送られながらいよいよです。
途中いくつかの駅で数分ずつ停車をして行きます。停車するたびに、乗客は先頭の機関車に集まっては記念撮影会。駅ごとにSLの表情が違いますもんね。私も負けじと。
↓坂本駅(熊本県八代郡坂本村)停車。球磨川と緑に囲まれた、のどかな駅
↓そして、そして。行く先々では、笑顔で手を振って、SLを見送る方々が本当にたくさんいらっしゃいました乗客の私もお返しに手を振り返して合図します。これが結構楽しいんです
乗っている人も、走っている姿を見る人もお互い喜んでいるのって、なんか素敵な瞬間なんですよねぇ~。
みんなに幸せを運ぶ、SLの魅力のひとつです。
↓家の前で、おじいちゃん、おばあちゃんと手を振るお孫さんかな
なんか、田舎の風景って感じで、心温まります。
↓肥薩線の魅力と言えば、やはり何といっても(日本三大急流の一つでもある)球磨川沿いの美しい景色ですね。
球磨川は、人吉盆地から八代平野、八代海へ至り、まさに肥薩線と一緒に歩んでいるんです
汽笛が鳴り響く、SLの車内から眺める景色はまた格別のものがありますよ
↓車内では、球磨焼酎が有名なこの地方に因んで、 「焼酎アイス」が売ってましたので、味わうことに。焼酎味(シャーベットっぽい;右半分)とバニラ味のアイス(左半分)が半分ずつあって、混ぜながら食べるとのこと。まあ、不思議な味でした
↓八代駅。〈ちなみに下り列車デス〉
すぐ駅裏にある日本製紙八代工場の煙と、SLの煙のコラボです
行く先々で、子供たちには大人気。JR九州の職員の方々も、大サービス子供たちにとっては、きっと良い思い出になるんでしょうね
17:21終点の熊本駅到着。お隣は、博多まで行くリレーつばめ号。
みなさん、ご乗車お疲れ様でしたぁ
SLに集まってくる人々の数の多さには本当に驚きです
子供は勿論、男女問わず幅広い世代に愛されていることを改めて実感させられましたね
行く先々で待ち受けている人、手を振ってくれる人、観光客、地元の方、みんな笑顔なんですよね誠に素晴らしいことです
SLの魅力の偉大さ、存在感は、もの凄いものがありますよ。
記憶に新しいことで、ブルートレインの廃止なんかにも関係するんですが、現実的に考えると非効率な部分もあるにせよ、
こういう”SLのような存在”は、この先も常に求め続けられると確信しますね。
<九州旅行 つづく>
長崎 軍艦島に上陸してきました。 [九州旅行]
GWは九州へ。去年の夏以来です。
今回の目的のひとつは、長崎県にある軍艦島です。
2009年4月22日から35年ぶりに一般上陸が解禁されることになり、GW前から盛んにテレビやネットなどでも取り上げられております。なんで、ご存じの方もいらっしゃることと思います。
早めに動いたおかげで、何とかGW中に「軍艦島上陸ツアー」に参加することができました(当然のことながら、GW中は満員でした)
他でも結構取り上げられているので、詳細は割愛しますが。
軍艦島は通称で、正式には「端島(はしま)」 (長崎県長崎市高島町(旧・西彼杵郡高島町))。
長崎港の南西約19km沖合に位置し、南北に約480m、東西に約160m、周囲約1,200mという小さな島。
1810年に石炭が発見され、1890年から三菱合資会社の経営のもと、海底炭鉱の島として操業を開始。
島の人口はどんどん増えて、高層鉄筋アパートなどの集合住宅、学校、病院、娯楽施設なども建てられ、
最盛期には約5,300人(1960年頃)が住み、当時の東京の9倍の人口密度だったというから驚きですよね
その後、国のエネルギー転換政策の推進に伴い、1974年(昭和49年)に炭鉱が閉山となり、
同年4月20日をもって島民は全員引き揚げて無人島になり、今日に至ります。
何ともドラマチックな島であります。
「やまさ海運」の軍艦島上陸クルーズに参加しました。所要時間180分、参加料金¥4,000+長崎市施設使用料¥300。完全予約制。
↓長崎港から13:40出港。お世話になる「マルページャ1号」です。この日は好天に恵まれ、海も穏やか悪天候で上陸できないことも多いようで、係員の方も「年に何回もない好条件」とおっしゃってました。
↓長崎港から南西方向へ沖合に進み、伊王島、高島と通り過ぎて、ようやく遠くに見えてまいりました一番奥、文字通り端っこの島ですからね・・。
↓出港から1時間ちょっと
うーむ、まさに廃墟の島だ~手前やや右の建物は端島小中学校、その左隣は体育館。
↓一方で目の前には真っ青な綺麗な海が広がっております。日本じゃないみたいです。
↓いよいよ島に上陸。ドルフィン桟橋から上陸します。
↓(手前)貯炭ベルトコンベアーと、(奥)端島小中学校。そして、何が何だか分からない崩れた建造物の数々とその空間・・・。
↓最初に係員から説明を受けます。見学区域は大きく分けて、3箇所。前に見える山は貯水槽だとか。地図を参考に、「なるほどー」とうなずくばかりっていうか、何かの拍子に崩れてきても可笑しくないでしょうね。
↓2か所目は鉱山の中枢である総合事務所。わずかに赤いレンガが残っております。当時は立派な建物だったんでしょうね。そんな面影あります。
右上にそびえる白い灯台は、無人島になり島全体が真っ暗になったために、設置されたという、島で最も新しい建造物とのこと
↓3か所目は(奥中央)30号棟、(奥左寄り)31号棟アパート。ここが一番の見どころのような気がします。
30号棟アパートの方は、1916年(大正5年)に建てられた日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートだそうですまあ、ざっと築93年ってとこですか。
↓外壁のはがれっぷりといい、窓の歪みっぷりといい、むき出しの鉄筋といい、嬉しくなるくらい見事です^^。近づきたいんですが、当然立入禁止。まあ、見るからに倒壊の恐れ大です。
↓ふと海に目を遣ると。島の向かい側には、長崎半島の南端 野母崎(のもざき)方面(旧・西彼杵郡野母崎町))が臨めます。周りの海は本当に美しいんです
そんなこんなで、島の滞在時間はあっという間に終わり、だいたい約45分くらい。まあ、見学場所が限られているだけに、私はこのくらいの時間で妥当と感じました。
↓帰りは島をぐる~っとひとまわりしてくれました。来る時に見えていなかった立入禁止区域である、鉱員住宅のビルが立ち並ぶ姿をみながら。それにしてもこの密集っぷりはものすごいですね。ビル間には渡り廊下も設けられ、はっきりと確認できます。夜とか怖いんでしょうねぇ~
↓北側から見る軍艦島の全景。この軍艦島という通称は、島の形が軍艦「土佐」に似ていたから。こうやって見ていると、形も色も軍艦そっくりです。今にも動き出しそう^^
行き帰りに、出逢った長崎港~軍艦島の間の風景を紹介します
↓高島(長崎市)にある風力発電所
↓長崎港によって分断されている長崎市南部・西部を結ぶ橋。その名も「女神大橋」(2005年12月開通)
↓三菱重工業長崎造船所立神工場と、1,000トン型巡視船「PL05 でじま」(第七管区 長崎海上保安部所属)。
個人的には、想像以上に衝撃を受けたこの軍艦島の姿
よくもまあこういう状態で残っていたものだと感心しっぱなしでした。
かつて炭鉱で栄えた島の様子を想像しながらも。
あまりにも虚しく、痛々しい島の姿に、儚さと寂しさを感じずにはいられませんでした。
見る人によっては、「ただの瓦礫の山」ということも言えるかもしれませんが。
炭鉱のためだけに使われた、いや使い捨てられたと言っても良いような、この島の悲しい現実。
島という閉鎖社会だからこそ、時代の流れに乗って、一気に繁栄し、一気に廃墟と化したんですよね。そして、手つかずの状態で残っていたのも、島だからこそ。
そんな思いで、瓦礫の一つ一つを眺めておりました。
世界遺産暫定リスト「九州・山口の近代化産業遺産群」として、軍艦島を世界遺産にしようとする動きがありますが、保存方法などには結構課題がありそうです。島全体の地図(建物の配置図)は詳細に公開されているため、もう少し色んなところを見たいのですが、危険な箇所も多そうですし、安全性の観点から見学区域はかなり限定されてしまうのはやむを得ません。この辺も課題のひとつかなと。ただ、こうやって、一般公開にまで踏み切って頂きました関係者の方々のご尽力に対しては、深く感謝申し上げたいです
しかし、大々的に゛観光地化゛してしまうのは大反対ですね。変に建物に手を加えたりとか、観光客用の施設を新しく造ったりとか。
まあ、なかなか難しいところです。
<九州旅行はつづく。>
今回の目的のひとつは、長崎県にある軍艦島です。
2009年4月22日から35年ぶりに一般上陸が解禁されることになり、GW前から盛んにテレビやネットなどでも取り上げられております。なんで、ご存じの方もいらっしゃることと思います。
早めに動いたおかげで、何とかGW中に「軍艦島上陸ツアー」に参加することができました(当然のことながら、GW中は満員でした)
他でも結構取り上げられているので、詳細は割愛しますが。
軍艦島は通称で、正式には「端島(はしま)」 (長崎県長崎市高島町(旧・西彼杵郡高島町))。
長崎港の南西約19km沖合に位置し、南北に約480m、東西に約160m、周囲約1,200mという小さな島。
1810年に石炭が発見され、1890年から三菱合資会社の経営のもと、海底炭鉱の島として操業を開始。
島の人口はどんどん増えて、高層鉄筋アパートなどの集合住宅、学校、病院、娯楽施設なども建てられ、
最盛期には約5,300人(1960年頃)が住み、当時の東京の9倍の人口密度だったというから驚きですよね
その後、国のエネルギー転換政策の推進に伴い、1974年(昭和49年)に炭鉱が閉山となり、
同年4月20日をもって島民は全員引き揚げて無人島になり、今日に至ります。
何ともドラマチックな島であります。
「やまさ海運」の軍艦島上陸クルーズに参加しました。所要時間180分、参加料金¥4,000+長崎市施設使用料¥300。完全予約制。
↓長崎港から13:40出港。お世話になる「マルページャ1号」です。この日は好天に恵まれ、海も穏やか悪天候で上陸できないことも多いようで、係員の方も「年に何回もない好条件」とおっしゃってました。
↓長崎港から南西方向へ沖合に進み、伊王島、高島と通り過ぎて、ようやく遠くに見えてまいりました一番奥、文字通り端っこの島ですからね・・。
↓出港から1時間ちょっと
うーむ、まさに廃墟の島だ~手前やや右の建物は端島小中学校、その左隣は体育館。
↓一方で目の前には真っ青な綺麗な海が広がっております。日本じゃないみたいです。
↓いよいよ島に上陸。ドルフィン桟橋から上陸します。
↓(手前)貯炭ベルトコンベアーと、(奥)端島小中学校。そして、何が何だか分からない崩れた建造物の数々とその空間・・・。
↓最初に係員から説明を受けます。見学区域は大きく分けて、3箇所。前に見える山は貯水槽だとか。地図を参考に、「なるほどー」とうなずくばかりっていうか、何かの拍子に崩れてきても可笑しくないでしょうね。
↓2か所目は鉱山の中枢である総合事務所。わずかに赤いレンガが残っております。当時は立派な建物だったんでしょうね。そんな面影あります。
右上にそびえる白い灯台は、無人島になり島全体が真っ暗になったために、設置されたという、島で最も新しい建造物とのこと
↓3か所目は(奥中央)30号棟、(奥左寄り)31号棟アパート。ここが一番の見どころのような気がします。
30号棟アパートの方は、1916年(大正5年)に建てられた日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートだそうですまあ、ざっと築93年ってとこですか。
↓外壁のはがれっぷりといい、窓の歪みっぷりといい、むき出しの鉄筋といい、嬉しくなるくらい見事です^^。近づきたいんですが、当然立入禁止。まあ、見るからに倒壊の恐れ大です。
↓ふと海に目を遣ると。島の向かい側には、長崎半島の南端 野母崎(のもざき)方面(旧・西彼杵郡野母崎町))が臨めます。周りの海は本当に美しいんです
そんなこんなで、島の滞在時間はあっという間に終わり、だいたい約45分くらい。まあ、見学場所が限られているだけに、私はこのくらいの時間で妥当と感じました。
↓帰りは島をぐる~っとひとまわりしてくれました。来る時に見えていなかった立入禁止区域である、鉱員住宅のビルが立ち並ぶ姿をみながら。それにしてもこの密集っぷりはものすごいですね。ビル間には渡り廊下も設けられ、はっきりと確認できます。夜とか怖いんでしょうねぇ~
↓北側から見る軍艦島の全景。この軍艦島という通称は、島の形が軍艦「土佐」に似ていたから。こうやって見ていると、形も色も軍艦そっくりです。今にも動き出しそう^^
行き帰りに、出逢った長崎港~軍艦島の間の風景を紹介します
↓高島(長崎市)にある風力発電所
↓長崎港によって分断されている長崎市南部・西部を結ぶ橋。その名も「女神大橋」(2005年12月開通)
↓三菱重工業長崎造船所立神工場と、1,000トン型巡視船「PL05 でじま」(第七管区 長崎海上保安部所属)。
個人的には、想像以上に衝撃を受けたこの軍艦島の姿
よくもまあこういう状態で残っていたものだと感心しっぱなしでした。
かつて炭鉱で栄えた島の様子を想像しながらも。
あまりにも虚しく、痛々しい島の姿に、儚さと寂しさを感じずにはいられませんでした。
見る人によっては、「ただの瓦礫の山」ということも言えるかもしれませんが。
炭鉱のためだけに使われた、いや使い捨てられたと言っても良いような、この島の悲しい現実。
島という閉鎖社会だからこそ、時代の流れに乗って、一気に繁栄し、一気に廃墟と化したんですよね。そして、手つかずの状態で残っていたのも、島だからこそ。
そんな思いで、瓦礫の一つ一つを眺めておりました。
世界遺産暫定リスト「九州・山口の近代化産業遺産群」として、軍艦島を世界遺産にしようとする動きがありますが、保存方法などには結構課題がありそうです。島全体の地図(建物の配置図)は詳細に公開されているため、もう少し色んなところを見たいのですが、危険な箇所も多そうですし、安全性の観点から見学区域はかなり限定されてしまうのはやむを得ません。この辺も課題のひとつかなと。ただ、こうやって、一般公開にまで踏み切って頂きました関係者の方々のご尽力に対しては、深く感謝申し上げたいです
しかし、大々的に゛観光地化゛してしまうのは大反対ですね。変に建物に手を加えたりとか、観光客用の施設を新しく造ったりとか。
まあ、なかなか難しいところです。
<九州旅行はつづく。>
屋久島を気楽に体験!<水を楽しむ編> [九州旅行]
屋久島のつづき。山から海へ。
↓永田いなか浜。宮之浦港からクルマで約30分くらいの場所にあり、島の北西部にあります。日本一のウミガメの産卵地(ウミガメの上陸頭数が日本一高い)として有名。2005年には、ラムサール条約によって「国際的に重要な湿地」として登録されています。残念ながら、お目にかかることはできませんでしたが。
屋久島は、屋久杉などどちらかというと「山」のイメージが強いかもしれませんが、キレイな砂浜でボーっとのんびり過ごす時間を作るのもおススメします。
日没も近いので、永田いなか浜からさらに西に行った岬へ。
↓夕暮れ時の屋久島灯台。島の西端永田岬に立っています。1897年(明治30年)に完成し、100年以上も点灯し続けています。(この前長崎で訪れたせいもありますが、)教会を連想させるような古い灯台です。
↓屋久島の西部に位置する口永良部島(くちえらぶじま)に夕日が沈んでいきます。
↓夕日からちょっと目を離すと、立派な夕焼け雲です。夏の雲が多いせいか、結構ダイナミックな光景です
↓大川の滝。島の南西部にあります。落差88mもあり、日本の滝百選にも選ばれています。
↓滝壺の間近まで行けます。豪快な水しぶきを体感できます
↓横河渓谷(よっごけいこく)。永田地区からクルマで数キロ山間部に入ったところにあります。森林浴しながら、ひんやりした川の水が夏の暑さを忘れさせてくれて、大変気持ち良いです。川遊びは勿論、ピクニック、昼寝など思い思いの時間をゆったり過ごせるちょっとした隠れスポットです。
↓屋久島名物 トビウオの唐揚げ。まるごとです。ヒレまで食べられます。パリパリしておいしい!
↓屋久島の往復でお世話になった、ジェットフォイル トッピー(鹿児島商船)です。<宮之浦港にて>
↓永田いなか浜。宮之浦港からクルマで約30分くらいの場所にあり、島の北西部にあります。日本一のウミガメの産卵地(ウミガメの上陸頭数が日本一高い)として有名。2005年には、ラムサール条約によって「国際的に重要な湿地」として登録されています。残念ながら、お目にかかることはできませんでしたが。
屋久島は、屋久杉などどちらかというと「山」のイメージが強いかもしれませんが、キレイな砂浜でボーっとのんびり過ごす時間を作るのもおススメします。
日没も近いので、永田いなか浜からさらに西に行った岬へ。
↓夕暮れ時の屋久島灯台。島の西端永田岬に立っています。1897年(明治30年)に完成し、100年以上も点灯し続けています。(この前長崎で訪れたせいもありますが、)教会を連想させるような古い灯台です。
↓屋久島の西部に位置する口永良部島(くちえらぶじま)に夕日が沈んでいきます。
↓夕日からちょっと目を離すと、立派な夕焼け雲です。夏の雲が多いせいか、結構ダイナミックな光景です
↓大川の滝。島の南西部にあります。落差88mもあり、日本の滝百選にも選ばれています。
↓滝壺の間近まで行けます。豪快な水しぶきを体感できます
↓横河渓谷(よっごけいこく)。永田地区からクルマで数キロ山間部に入ったところにあります。森林浴しながら、ひんやりした川の水が夏の暑さを忘れさせてくれて、大変気持ち良いです。川遊びは勿論、ピクニック、昼寝など思い思いの時間をゆったり過ごせるちょっとした隠れスポットです。
↓屋久島名物 トビウオの唐揚げ。まるごとです。ヒレまで食べられます。パリパリしておいしい!
↓屋久島の往復でお世話になった、ジェットフォイル トッピー(鹿児島商船)です。<宮之浦港にて>
屋久島を気楽に体験!<山と杉編> [九州旅行]
鹿児島から、世界遺産 屋久島(鹿児島県熊毛郡屋久島町)へ。霧島屋久国立公園にも一部指定されています。
ちなみに、お隣の種子島は前の鹿児島旅行で訪れていました。
鹿児島港や指宿港から、ジェットフォイルで宮之浦港、安房港へ。
屋久島は大変雨の多い島。年間降水量は4,000~10,000mmにも達するとか。
宿は、島南部の平内地区。早朝、庭から海を眺めると、突然のスコール・・・。しかし、すぐにスカッと青空。島の天気は変わりやすい。
ふと見ると、綺麗なアーチを描いておりました。写真で伝わるでしょうか。しかもダブルのレインボー
下の2枚は同じ場所から半分ずつ撮ったもの
合わせるとこんな感じ
さて屋久島と言えば、屋久杉。だいたいの方は、「縄文杉」を目指して朝早く出発する中、特に山行きの装備もして行かず、比較的気軽に行ける所を訪ねて行きます。
屋久島は五角形に近い形をしていて。中央には宮之浦岳などの山々があり、周囲をぐるっと一周する道路が走っています。その周回道路から、登山道など山に向かう道があちこちに出ています。
↓島を一周する道路。当然のことながら、ずっと海のそばを走っていきます
↓周回道路から山の方に入りますと、海を一望できます。海と山が非常に近いのが分かります。海の方は晴れているのに、山に入っていくと雲行きが・・・。雲の層がはっきりと確認できます
↓ヤクスギランド。屋久島自然休養林。島東部の安房港からクルマで約30~40分くらい山に入ったところにあります。ここは自分の体力に合わせてコースがあり、遊歩道もしっかり整備されているので、軽装で十分です。約2時間のトレッキング
森の中に足を踏み入れると、湿度の高さに驚きます。こういう環境の中で、屋久杉が何千もの年月を経て育まれてきたんですねぇ~、としみじみ実感
↓仏陀杉。樹齢1,800年。杉たちと対峙していると、世代を超えた出逢いのせいか、何とも不思議な面持ちになります。ただ、弱っているっという看板がなんとも・・。
↓杉林に覆われた苔の世界。太陽の光にあたって。独特の緑を輝かせていました
↓こちらは紀元杉。樹齢3,000年になります。杉の懐に入り、真下から見上げると、堂々たる姿に
温もり、頼もしさが大いに感じられます。
↓ここからは白谷雲水峡。屋久島自然休養林。島北部の宮之浦港からクルマで約30分くらい山に入ったところにあります。ここも原生林を気軽に体験できる所で、体力に合わせて様々なコースがあります。「もののけ姫の森」で有名なスポットですね。
↓宮之浦川支流 白谷川の清流沿いを歩いていきます
↓太陽の光が差し込む森の中。苔が美しいと思えたのは初めてかもしれません。
↓二代大杉。こちらもまた違った表情を見せてくれました。どっしりしています。
↓弥生杉。樹齢3,000年です。樹高26.1m。幹の形・太さ、樹皮の状態とか様々で、実際手で触って実感。自然の生み出す歴史です。
↓野生の屋久猿。島の中では何度も見ました道路沿いでの群れです。全く逃げようとしないリラックスした猿たち。”素”の姿に出会えたように思えます。クルマにひかれないように気をつけて。
↓屋久鹿も何度か見つけました。シカは臆病なのかすぐに逃げてしまいました~。(野生のシカと言えば、知床で出会ったエゾシカたち 以来ですね)
屋久島は杉だけではないんです。つづく・・・。
ちなみに、お隣の種子島は前の鹿児島旅行で訪れていました。
鹿児島港や指宿港から、ジェットフォイルで宮之浦港、安房港へ。
屋久島は大変雨の多い島。年間降水量は4,000~10,000mmにも達するとか。
宿は、島南部の平内地区。早朝、庭から海を眺めると、突然のスコール・・・。しかし、すぐにスカッと青空。島の天気は変わりやすい。
ふと見ると、綺麗なアーチを描いておりました。写真で伝わるでしょうか。しかもダブルのレインボー
下の2枚は同じ場所から半分ずつ撮ったもの
合わせるとこんな感じ
さて屋久島と言えば、屋久杉。だいたいの方は、「縄文杉」を目指して朝早く出発する中、特に山行きの装備もして行かず、比較的気軽に行ける所を訪ねて行きます。
屋久島は五角形に近い形をしていて。中央には宮之浦岳などの山々があり、周囲をぐるっと一周する道路が走っています。その周回道路から、登山道など山に向かう道があちこちに出ています。
↓島を一周する道路。当然のことながら、ずっと海のそばを走っていきます
↓周回道路から山の方に入りますと、海を一望できます。海と山が非常に近いのが分かります。海の方は晴れているのに、山に入っていくと雲行きが・・・。雲の層がはっきりと確認できます
↓ヤクスギランド。屋久島自然休養林。島東部の安房港からクルマで約30~40分くらい山に入ったところにあります。ここは自分の体力に合わせてコースがあり、遊歩道もしっかり整備されているので、軽装で十分です。約2時間のトレッキング
森の中に足を踏み入れると、湿度の高さに驚きます。こういう環境の中で、屋久杉が何千もの年月を経て育まれてきたんですねぇ~、としみじみ実感
↓仏陀杉。樹齢1,800年。杉たちと対峙していると、世代を超えた出逢いのせいか、何とも不思議な面持ちになります。ただ、弱っているっという看板がなんとも・・。
↓杉林に覆われた苔の世界。太陽の光にあたって。独特の緑を輝かせていました
↓こちらは紀元杉。樹齢3,000年になります。杉の懐に入り、真下から見上げると、堂々たる姿に
温もり、頼もしさが大いに感じられます。
↓ここからは白谷雲水峡。屋久島自然休養林。島北部の宮之浦港からクルマで約30分くらい山に入ったところにあります。ここも原生林を気軽に体験できる所で、体力に合わせて様々なコースがあります。「もののけ姫の森」で有名なスポットですね。
↓宮之浦川支流 白谷川の清流沿いを歩いていきます
↓太陽の光が差し込む森の中。苔が美しいと思えたのは初めてかもしれません。
↓二代大杉。こちらもまた違った表情を見せてくれました。どっしりしています。
↓弥生杉。樹齢3,000年です。樹高26.1m。幹の形・太さ、樹皮の状態とか様々で、実際手で触って実感。自然の生み出す歴史です。
↓野生の屋久猿。島の中では何度も見ました道路沿いでの群れです。全く逃げようとしないリラックスした猿たち。”素”の姿に出会えたように思えます。クルマにひかれないように気をつけて。
↓屋久鹿も何度か見つけました。シカは臆病なのかすぐに逃げてしまいました~。(野生のシカと言えば、知床で出会ったエゾシカたち 以来ですね)
屋久島は杉だけではないんです。つづく・・・。
鹿児島にて 指宿・開聞岳を眺める [九州旅行]
鹿児島県南部 薩摩半島の東端に位置する指宿(いぶすき)市。
砂風呂で有名なところですね
↓指宿港にて、日の丸がなびく船に乗るは「第8代濱崎太平次」像です。カッコ良かったので撮ってみました。幕末の薩摩藩の豪商で、利益を献納し、藩の財政を支えた人物だそうです。
指宿市内には、JR指宿枕崎線が走っています。
この路線は、鹿児島中央駅~枕崎駅(87.8km)で、JRで一番南の路線。
↓西大山駅。JR日本最南端(本土最南端)の駅で有名ですね。私もついつい寄ってしまうのですが、朝早く接続が悪いせいか、降りたのは私一人だけでした。雨上がりで天気は良くないせいもあったかもしれません。ご覧の通り開聞岳山頂付近は雲に隠れてしまっています。
↓原野のような風景。線路はまっすぐ。
西大山駅から、長崎鼻を目指して歩くことに。(「歩く」のも立派な手段です。結構、私、歩くのも大好きだったりします。)
↓急速に晴れ間が広がり、虹が。
西大山駅から歩くこと40分くらい。長崎鼻に到着。着いたころには汗ばむくらいの陽気ですっかり晴れていました。
長崎鼻(指宿市、霧島屋久国立公園に指定)。薩摩半島の最南端の岬で、当然ながら鹿児島県。実際他に、長崎県にも長崎県以外にもあるので、大変紛らわしいです。ここが有名でしょう。
<国内旅行業務取扱管理者資格や国内旅行地理検定の試験問題で、ひっかけによく出てました。>
附近にあった小火山が浸食され、取り残されて岬になったものだそうです。
↓薩摩長崎鼻灯台。錦江湾を出入りする船舶や東シナ海を航行する船舶の道しるべとして役割を果たしています。
↓開聞山麓自然公園(指宿市)。文字通り、開聞岳のふもとに広がる公園です。長崎鼻から鹿児島交通バスで10分くらいと近いです。トカラ馬が放牧されています。長崎鼻方面の海岸線、錦江湾が一望できます
↓トカラ馬は日本在来種の馬(以前紹介した与那国馬と同じ)で、ポニーに分類されます。もともとはトカラ列島(鹿児島県鹿児島郡十島村)で飼育されてきた馬ですが、本土に一部移され保護されているそうです。県の天然記念物。
↓振り返ると・・・。相変わらず開聞岳の頂上付近は残念ながら雲に覆われていました
再び、JR指宿枕崎線の沿線の風景に戻りますと。
↓開聞駅。開聞岳のふもとにある小さな駅です。駅裏には黄色に染まった花畑が広がっておりました
↓待合室より。
↓JR指宿枕崎線の終点は枕崎駅(枕崎市)。この駅は2006年に移設されたもの。以前は、地べたに敷かれた線路にただホームをくっつけたような、簡素ながらも終着駅の雰囲気があり、味のある駅だったんですが。今は、何だかあまり特徴のない仮設ホームみたいになってしまいました・・・。
。
↓駅から10分くらい歩けば、枕崎港。枕崎は漁業のまち。特に、カツオ漁業が有名で、カツオ節生産量は日本一。
↓山川駅(指宿市)。JR日本最南端の有人駅。駅前にはすぐ海が広がっています。
↓指宿から鹿児島方面に向かう国道226号線沿いの風景です(鹿児島交通バスから)。錦江湾沿いを走っていきます。
鹿児島の旅<つづく>
砂風呂で有名なところですね
↓指宿港にて、日の丸がなびく船に乗るは「第8代濱崎太平次」像です。カッコ良かったので撮ってみました。幕末の薩摩藩の豪商で、利益を献納し、藩の財政を支えた人物だそうです。
指宿市内には、JR指宿枕崎線が走っています。
この路線は、鹿児島中央駅~枕崎駅(87.8km)で、JRで一番南の路線。
↓西大山駅。JR日本最南端(本土最南端)の駅で有名ですね。私もついつい寄ってしまうのですが、朝早く接続が悪いせいか、降りたのは私一人だけでした。雨上がりで天気は良くないせいもあったかもしれません。ご覧の通り開聞岳山頂付近は雲に隠れてしまっています。
↓原野のような風景。線路はまっすぐ。
西大山駅から、長崎鼻を目指して歩くことに。(「歩く」のも立派な手段です。結構、私、歩くのも大好きだったりします。)
↓急速に晴れ間が広がり、虹が。
西大山駅から歩くこと40分くらい。長崎鼻に到着。着いたころには汗ばむくらいの陽気ですっかり晴れていました。
長崎鼻(指宿市、霧島屋久国立公園に指定)。薩摩半島の最南端の岬で、当然ながら鹿児島県。実際他に、長崎県にも長崎県以外にもあるので、大変紛らわしいです。ここが有名でしょう。
<国内旅行業務取扱管理者資格や国内旅行地理検定の試験問題で、ひっかけによく出てました。>
附近にあった小火山が浸食され、取り残されて岬になったものだそうです。
↓薩摩長崎鼻灯台。錦江湾を出入りする船舶や東シナ海を航行する船舶の道しるべとして役割を果たしています。
↓開聞山麓自然公園(指宿市)。文字通り、開聞岳のふもとに広がる公園です。長崎鼻から鹿児島交通バスで10分くらいと近いです。トカラ馬が放牧されています。長崎鼻方面の海岸線、錦江湾が一望できます
↓トカラ馬は日本在来種の馬(以前紹介した与那国馬と同じ)で、ポニーに分類されます。もともとはトカラ列島(鹿児島県鹿児島郡十島村)で飼育されてきた馬ですが、本土に一部移され保護されているそうです。県の天然記念物。
↓振り返ると・・・。相変わらず開聞岳の頂上付近は残念ながら雲に覆われていました
再び、JR指宿枕崎線の沿線の風景に戻りますと。
↓開聞駅。開聞岳のふもとにある小さな駅です。駅裏には黄色に染まった花畑が広がっておりました
↓待合室より。
↓JR指宿枕崎線の終点は枕崎駅(枕崎市)。この駅は2006年に移設されたもの。以前は、地べたに敷かれた線路にただホームをくっつけたような、簡素ながらも終着駅の雰囲気があり、味のある駅だったんですが。今は、何だかあまり特徴のない仮設ホームみたいになってしまいました・・・。
。
↓駅から10分くらい歩けば、枕崎港。枕崎は漁業のまち。特に、カツオ漁業が有名で、カツオ節生産量は日本一。
↓山川駅(指宿市)。JR日本最南端の有人駅。駅前にはすぐ海が広がっています。
↓指宿から鹿児島方面に向かう国道226号線沿いの風景です(鹿児島交通バスから)。錦江湾沿いを走っていきます。
鹿児島の旅<つづく>
鹿児島にて 桜島へご挨拶 [九州旅行]
夏休みを利用して、またもや九州へ。篤姫ブームに沸く鹿児島。
ただ、篤姫目当てでは全くありませんので。あと、決して長崎から連続ではございません。一旦帰って出直してきました
まずは鹿児島に来たら、桜島(霧島屋久国立公園に指定)にご挨拶。っていうことで、鹿児島港から桜島フェリー(24時間運航、昼間は10分間隔)に乗り込む。錦江湾(鹿児島湾)をわずか15分で渡ってしまう短い船旅です。
↓フェリーから、桜島を眺める。桜島は実に堂々としていらっしゃいます。天気にも恵まれましたし噴煙も上がっていません。
↓桜島港入港。
↓桜島では炎天下の中、港から南方面にサイクリング。意外にアップダウンがあって、結構キツかったです・・。
まあ、でも桜島の空気を肌で感じるには、これが一番下り坂で海からの風を受けながらは最高です!
↓ ”桜島ならでは”のものもたくさんあります。名産の桜島大根が目印、ドライブイン
↓道路標識にも。
↓桜島と桜島大根をモチーフにした街灯。なかなかカワイイ!
↓「叫びの肖像」鹿児島市出身の長渕剛が、2004年8月に「長渕剛 桜島オールナイトコンサート」を行ったことを記念して会場跡地に造られたもの。2006年に完成しており、比較的新しい観光地として知れ渡っているんでしょうね。観光客が結構集まっていました。
顔(叫び、歌い、訴え・・)に、ギター。情熱的で力強く、メッセージ性の強い作品に仕上がっていますね。音楽に対する魂がこの地に生き続けているように感じます。
それにしても、この地に約7万5千人もの観客を動員したというのは本当に驚き。当日は、フェリーの輸送とかさぞかし大変だったでしょうねぇ。
↓烏島(からすじま)展望所。かつて、ここは海を隔てて”烏島”という無人島でしたが、1914年に起きた噴火によって溶岩の下に埋もれてしまったとのこと。これは火山史上でも非常に珍しい現象だそうで、忘れないようにという意味も込めて、ここ烏島埋没跡に「烏島 この下に」の記念碑が建てられました。
↓烏島展望所からは、鹿児島市街地と錦江湾が一望できます。雲は多いですが、晴れ間もあり、海の青さと緑が光り輝いていました
↓溶岩なぎさ遊歩道。クルマでは、ここの景色にお目にかかることはできません。桜島港の近くから約3kmの海岸沿いの道を、徒歩or自転車でゆっくりと楽しめます。あたりは溶岩で、鹿児島市街地と錦江湾を眺めながら、バックには桜島というロケーション
↓桜島を後にします。結構、外国からのツアー客が多かったです。
鹿児島を南下していきます。<つづく>
ただ、篤姫目当てでは全くありませんので。あと、決して長崎から連続ではございません。一旦帰って出直してきました
まずは鹿児島に来たら、桜島(霧島屋久国立公園に指定)にご挨拶。っていうことで、鹿児島港から桜島フェリー(24時間運航、昼間は10分間隔)に乗り込む。錦江湾(鹿児島湾)をわずか15分で渡ってしまう短い船旅です。
↓フェリーから、桜島を眺める。桜島は実に堂々としていらっしゃいます。天気にも恵まれましたし噴煙も上がっていません。
↓桜島港入港。
↓桜島では炎天下の中、港から南方面にサイクリング。意外にアップダウンがあって、結構キツかったです・・。
まあ、でも桜島の空気を肌で感じるには、これが一番下り坂で海からの風を受けながらは最高です!
↓ ”桜島ならでは”のものもたくさんあります。名産の桜島大根が目印、ドライブイン
↓道路標識にも。
↓桜島と桜島大根をモチーフにした街灯。なかなかカワイイ!
↓「叫びの肖像」鹿児島市出身の長渕剛が、2004年8月に「長渕剛 桜島オールナイトコンサート」を行ったことを記念して会場跡地に造られたもの。2006年に完成しており、比較的新しい観光地として知れ渡っているんでしょうね。観光客が結構集まっていました。
顔(叫び、歌い、訴え・・)に、ギター。情熱的で力強く、メッセージ性の強い作品に仕上がっていますね。音楽に対する魂がこの地に生き続けているように感じます。
それにしても、この地に約7万5千人もの観客を動員したというのは本当に驚き。当日は、フェリーの輸送とかさぞかし大変だったでしょうねぇ。
↓烏島(からすじま)展望所。かつて、ここは海を隔てて”烏島”という無人島でしたが、1914年に起きた噴火によって溶岩の下に埋もれてしまったとのこと。これは火山史上でも非常に珍しい現象だそうで、忘れないようにという意味も込めて、ここ烏島埋没跡に「烏島 この下に」の記念碑が建てられました。
↓烏島展望所からは、鹿児島市街地と錦江湾が一望できます。雲は多いですが、晴れ間もあり、海の青さと緑が光り輝いていました
↓溶岩なぎさ遊歩道。クルマでは、ここの景色にお目にかかることはできません。桜島港の近くから約3kmの海岸沿いの道を、徒歩or自転車でゆっくりと楽しめます。あたりは溶岩で、鹿児島市街地と錦江湾を眺めながら、バックには桜島というロケーション
↓桜島を後にします。結構、外国からのツアー客が多かったです。
鹿児島を南下していきます。<つづく>
長崎 有明海臨む島原にて [九州旅行]
福江島の次は訪れたのは、キリシタン→島原の乱というわけで。長崎県島原市。
※実際、島原の乱がキリシタンの反乱であるというのはひとつの側面に過ぎないとのこと。
長崎市(長崎半島)の東、島原半島の東部に位置します。有明海(島原湾)をはさんで、熊本市と相対してます。
1990年に、雲仙普賢岳の大噴火があったのは(当時幼かった私にとって)とても印象に残っています。そういうこともあり、ぜひとも訪れてみたい場所のひとつでした。
島原では、有明海臨む温泉旅館にて一夜を過ごし、翌朝五時ごろ起きて、朝日を拝みながら朝風呂に入る。その後、散歩がてら、旅館近くの島原海浜公園に足を運ぶ。旅先では何故か早起きできる。実にすがすがしい気分だ。
「朝日と有明海」 対岸は熊本県。
↓朝日を浴びる雲仙岳
諫早から有明海沿いを走って雲仙市を経由し島原市まで運行する島原鉄道。黄色い車体が印象的。
今年の4月1日に輸送人員の減少に伴い、島原外港~加津佐間(35.3km)が廃止され、現在は諫早~島原外港間(43.2km)の運行。島原半島南部 南島原市方面には鉄道では行けなくなりました。
島原市街地に近い4駅を訪れました・・・・
↓島原駅。島原城の最寄駅。城っぽい駅舎、「島原の子守唄」の銅像が印象的。
↓島鉄本社前駅。いかにも地方私鉄の駅っぽい雰囲気。
↓南島原駅。島鉄の車庫があります。レトロな雰囲気の駅舎。
↓島原外港駅。島原港の最寄駅。ここが終点になりました。3月まではこの先がまだまだあったのですが、今はご覧のとおり雑草の生えた廃線跡。
さて、かつての城下町 島原駅周辺に戻ると。
↓島原は町の中を清流が流れ、島原湧水群は名水百選にも選ばれています。「鯉の泳ぐまち」としても有名。
↓島原城。もともとは1624年松倉重政が築いたもので、明治時代に解体され、1964年に再び建築されました。堀は一面ハスで埋め尽くされています。
↓公園内には、「天草四郎」の像も。1637年に起こった島原の乱(島原・天草一揆)は、廃城となっていた原城(現在の南島原市)に一揆が籠城したことで有名ですね。
↓城の展望台からは、島原市内が一望できます。この日は天気も良く、島原湾・有明海の海がキラキラ輝いていました。
夏休みということもあり、ちょっと強引に(笑)、南九州方面へ旅行は続きます。
※実際、島原の乱がキリシタンの反乱であるというのはひとつの側面に過ぎないとのこと。
長崎市(長崎半島)の東、島原半島の東部に位置します。有明海(島原湾)をはさんで、熊本市と相対してます。
1990年に、雲仙普賢岳の大噴火があったのは(当時幼かった私にとって)とても印象に残っています。そういうこともあり、ぜひとも訪れてみたい場所のひとつでした。
島原では、有明海臨む温泉旅館にて一夜を過ごし、翌朝五時ごろ起きて、朝日を拝みながら朝風呂に入る。その後、散歩がてら、旅館近くの島原海浜公園に足を運ぶ。旅先では何故か早起きできる。実にすがすがしい気分だ。
「朝日と有明海」 対岸は熊本県。
↓朝日を浴びる雲仙岳
諫早から有明海沿いを走って雲仙市を経由し島原市まで運行する島原鉄道。黄色い車体が印象的。
今年の4月1日に輸送人員の減少に伴い、島原外港~加津佐間(35.3km)が廃止され、現在は諫早~島原外港間(43.2km)の運行。島原半島南部 南島原市方面には鉄道では行けなくなりました。
島原市街地に近い4駅を訪れました・・・・
↓島原駅。島原城の最寄駅。城っぽい駅舎、「島原の子守唄」の銅像が印象的。
↓島鉄本社前駅。いかにも地方私鉄の駅っぽい雰囲気。
↓南島原駅。島鉄の車庫があります。レトロな雰囲気の駅舎。
↓島原外港駅。島原港の最寄駅。ここが終点になりました。3月まではこの先がまだまだあったのですが、今はご覧のとおり雑草の生えた廃線跡。
さて、かつての城下町 島原駅周辺に戻ると。
↓島原は町の中を清流が流れ、島原湧水群は名水百選にも選ばれています。「鯉の泳ぐまち」としても有名。
↓島原城。もともとは1624年松倉重政が築いたもので、明治時代に解体され、1964年に再び建築されました。堀は一面ハスで埋め尽くされています。
↓公園内には、「天草四郎」の像も。1637年に起こった島原の乱(島原・天草一揆)は、廃城となっていた原城(現在の南島原市)に一揆が籠城したことで有名ですね。
↓城の展望台からは、島原市内が一望できます。この日は天気も良く、島原湾・有明海の海がキラキラ輝いていました。
夏休みということもあり、ちょっと強引に(笑)、南九州方面へ旅行は続きます。
長崎 五島列島・福江島にて。 [九州旅行]
長崎の旅の続き。
長崎港から、九州商船のジェットフォイルで、約1時間半。
長崎から西に約100km離れたところに浮かぶ五島列島のひとつ(最大の島) 福江島
五島市に属します。2004年に1市5町が合併されました。
キリスト教弾圧時代のカクレキリシタンの移住場所、遣唐使船の最終寄港地としても有名。
五島市市長選挙(8/24投票)が控えているせいもあってか、
「どがんかせんば!」というキャッチフレーズの看板があちらこちらに見受けられました。
どっかで聞いたことあると思ったら・・・、
宮崎県 東国原知事の「どげんかせんといかん」ですね
やはり、同じ九州です。フレーズの雰囲気が特徴的で、温かみがありますね。
↓福江港。島の東部。島の玄関口は勿論、五島の玄関口として機能しています。
数年前に大型旅客船が入れるように整備されたせいか、港周辺は新しい施設やスペースが多いです。静かに海を眺めていると落ち着きます。
↓堂崎天主堂。1873年キリシタン禁教令が廃止された後、1908年にペルー神父により建てられました。キリスト教抑圧からの解放の象徴。今年はちょうど100周年!現在はキリシタン関連の資料館となっています。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)入りを目指しています。
周辺も静かでのんびりしてます。入り江が多くて美しい景色が広がり、水も大変澄んでいます。
↓井持浦教会(ルルド) 。小高い丘の上に佇んでいます。1895年にフランス人宣教師ペルー神父により建立されました。聖母マリアの出現で有名なルルドを模した洞窟を、日本で最初に造った場所。本場フランス『ルルドの奇跡の泉』からの霊水が、この洞窟横の泉水に注がれたとも言われており、実際に飲んできました。
↓大瀬崎灯台・断崖展望所 。島の南西端に位置し、あたりは西海国立公園に指定されています。全国で最大の光度200万カンデラの光を発し、日本の西の海の航海安全を守っています。
迫力のある景色が広がっており、東シナ海の断崖に立つ灯台の姿が、何ともカッコよく見えました
↓高浜海水浴場。島の西部。やはり離島の海・砂浜は本当にキレイ白銀色の砂浜と透明な海が広がっていました。断崖絶壁、多数の入り江のイメージが強い五島ですが、実は素敵な砂浜がちゃんとあるんですね。
この日は波が高く、遊泳禁止の赤いフラッグが立ってしましたが、たくさんの海水浴客、サーファーが訪れていました。
長崎の旅は<つづく>
長崎港から、九州商船のジェットフォイルで、約1時間半。
長崎から西に約100km離れたところに浮かぶ五島列島のひとつ(最大の島) 福江島
五島市に属します。2004年に1市5町が合併されました。
キリスト教弾圧時代のカクレキリシタンの移住場所、遣唐使船の最終寄港地としても有名。
五島市市長選挙(8/24投票)が控えているせいもあってか、
「どがんかせんば!」というキャッチフレーズの看板があちらこちらに見受けられました。
どっかで聞いたことあると思ったら・・・、
宮崎県 東国原知事の「どげんかせんといかん」ですね
やはり、同じ九州です。フレーズの雰囲気が特徴的で、温かみがありますね。
↓福江港。島の東部。島の玄関口は勿論、五島の玄関口として機能しています。
数年前に大型旅客船が入れるように整備されたせいか、港周辺は新しい施設やスペースが多いです。静かに海を眺めていると落ち着きます。
↓堂崎天主堂。1873年キリシタン禁教令が廃止された後、1908年にペルー神父により建てられました。キリスト教抑圧からの解放の象徴。今年はちょうど100周年!現在はキリシタン関連の資料館となっています。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)入りを目指しています。
周辺も静かでのんびりしてます。入り江が多くて美しい景色が広がり、水も大変澄んでいます。
↓井持浦教会(ルルド) 。小高い丘の上に佇んでいます。1895年にフランス人宣教師ペルー神父により建立されました。聖母マリアの出現で有名なルルドを模した洞窟を、日本で最初に造った場所。本場フランス『ルルドの奇跡の泉』からの霊水が、この洞窟横の泉水に注がれたとも言われており、実際に飲んできました。
↓大瀬崎灯台・断崖展望所 。島の南西端に位置し、あたりは西海国立公園に指定されています。全国で最大の光度200万カンデラの光を発し、日本の西の海の航海安全を守っています。
迫力のある景色が広がっており、東シナ海の断崖に立つ灯台の姿が、何ともカッコよく見えました
↓高浜海水浴場。島の西部。やはり離島の海・砂浜は本当にキレイ白銀色の砂浜と透明な海が広がっていました。断崖絶壁、多数の入り江のイメージが強い五島ですが、実は素敵な砂浜がちゃんとあるんですね。
この日は波が高く、遊泳禁止の赤いフラッグが立ってしましたが、たくさんの海水浴客、サーファーが訪れていました。
長崎の旅は<つづく>